そうしたら、父が「現在、北九州近くの海はすべて米軍によって機雷が敷設されていて、船は入ってこられないし、飛行場も爆撃で滑走路が使えなくなっているから、そんなにすぐ米軍が来ることは考えられないし、米軍が来てもまずアメリカは文明国だからそういうことはないと思う。慌てないで様子を見てから行動しなさい」と諭していたと母から聞きました。
その後、かなりたってから海兵隊が占領にやってきました。やがて、北九州の占領軍はスミス少将が率いる第24師団に代わりましたが、その間、僕の見聞きした範囲ではそういう事件は一度もありませんでした。唯一の事件は朝鮮戦争が始まったとき、戦線に送られるのを嫌った脱走兵が出て、それを制圧逮捕しようとして発砲したアメリカ軍憲兵の銃弾に当たって同級生が一人死亡したということをきいただけでした。
一度だけ、海兵隊のアメリカ兵に追いかけられて逃げたことがありました。学校の帰りに駅の近くまで来たら、向こうからビールらしいものをがぶ飲みしながら歩いてくるアメリカ海兵隊の兵士数人と出くわしました。一旦はすれ違って離れて行ったのですが、後ろから声がするので振り返ると彼らが何か言いながらこっちにやって来るのです。そこで僕らは必死で逃げました。一番、からだの小さかったH君が最後になったので、逃げながら振りかえって見ました。すると、なんとH君は彼らからなにやら貰ってニコニコしているのです。そこで、我々2-3人も後戻りしてチョコレートやチュウインガムをいくつも貰ったのです。少なくとも5年以上の間そういう物を見たことがなかった僕たちはすごく幸福になり、喜んで帰路に着きました。
ところがその幸福もほんの1-2分でした。駅のすぐ前は焼け野が原で、何人もの戦災孤児たちがたむろしていました。そして、目ざとく僕らを見つけて、何人もがやってきて、僕らを取り巻き、せっかく手にしたお菓子をすべて奪って行ったのです。
戦後に僕が出あった略奪はなんと、日本人の少年たちからだったのです。
戦争中、日本の軍人が残虐行為をしたかどうかという議論があることは皆さんよくご存知だと思います。また中国東北部でソ連兵の略奪にあったという話もよくききます。こういった問題についての、僕の考えについても、そのうち発表させていただきたいと思います。

