2007年8月9日 Mixi (マイミク)の Susumu の日記
1945年(昭和20年)8月9日の午前中、中学生だった僕は当時の小倉市(今の北九州市の一部)の手榴弾(手投げ弾)を作っている工場で働いていました。
9時ころから工場の中庭で上半身裸になって、大きな鉄のハンマーを振るって、鉄ぐずを叩き割っていたのです。作業の最中、警報が出ました。B29爆撃機が小倉上空を旋回中というのです。
爆弾投下もしないので、偵察中だろうということで、作業は続けられました。そのうち、B29は去っていったので、警報は解除されました。
でもこの直後、長崎に原爆が投下され、美しかった町が一瞬に灰燼と化し、15万人近い人たちが死傷したのです。
実はこの飛行機は原爆を積んでいて、小倉に落とそうとしていたのだそうです。一説によると天候の具合で、目標を長崎に変えたんだそうです。僕がこのことを知ったのは、その後、何年もたってからでした。
もし、原爆が予定通り小倉に落とされていたら、僕は爆心で一瞬のうちに焼け死んでいたはずです。広島で見たように、工場の壁にハンマーを振り上げた僕の姿が、焼きついていたかもしれません。
9時ころから工場の中庭で上半身裸になって、大きな鉄のハンマーを振るって、鉄ぐずを叩き割っていたのです。作業の最中、警報が出ました。B29爆撃機が小倉上空を旋回中というのです。
爆弾投下もしないので、偵察中だろうということで、作業は続けられました。そのうち、B29は去っていったので、警報は解除されました。
でもこの直後、長崎に原爆が投下され、美しかった町が一瞬に灰燼と化し、15万人近い人たちが死傷したのです。
実はこの飛行機は原爆を積んでいて、小倉に落とそうとしていたのだそうです。一説によると天候の具合で、目標を長崎に変えたんだそうです。僕がこのことを知ったのは、その後、何年もたってからでした。
もし、原爆が予定通り小倉に落とされていたら、僕は爆心で一瞬のうちに焼け死んでいたはずです。広島で見たように、工場の壁にハンマーを振り上げた僕の姿が、焼きついていたかもしれません。
今の僕はこの日に生まれ変わったのです。

写真は今朝撮った、青空の下のニセアカシアの花です。世界中の人が、そして僕の子供や孫たちが、このような空の元で、美しい花を楽しめるような平和な日々を持ち続けられることを祈っています。
きっと、賢い皆さんが平和を守り続けていってくださると信じています。
きっと、賢い皆さんが平和を守り続けていってくださると信じています。

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